野に咲く花がたとえ枯れ落ちても

希望の種は生き続けている

傷ついた心が哭きつづけても

生きている今日が明日を拓く

生きていく命が明日を変える


1968」という私の歌の歌詞です。私たちの豊かさやむやみな消費社会が汚し、破壊したのは海だけではなく、神様からのいただき物に支えられていた日本の暮しの尊さだったと思います。水俣の物語はその失われた過去から知らされる人としての大きさです。その感動に是非ふれてください。

 

応援歌

加藤登紀子(かとう ときこ)

プロフィール

1943 年生。65 年東京大学在学中に歌手デビュー。71 年「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞受賞。近年、千葉県の「鴨川自然王国」を拠点に循環型社会の実現へ向けた活動を行う。『青い月のバラード』など著書多数。

最首 悟(さいしゅ さとる)

プロフィール

1936 年生。東京大学理学部博士課程を中退。77 年、第一次不知火海総合学術調査団に参加。81 年、第二次調査団団長を務める。恵泉女子大学講師、和光大学名誉教授などを歴任。『星子が居る』など著書多数。

不知火海の浜辺の老漁師が胎児性水俣病の孫の行く末を案じながら、みずからの一生を振り返り語ってゆきます。貧しいながら天然自然のなかで夫婦で魚をとらせていただく。その至福の思い出の中から、「いのち」が浮かび上がってくるのです。

 「いのち」のただなかに居ながら、「いのち」を忘れ、「いのち」を無視して「ゆたかさ」を追求する。その「むなしさ」をまた「いのち」が知らせる。20 世紀の科学技術の進歩は同時に病いであることを水俣病を通して、「いのち」は発信しているのです。